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	<title>サンライズ出版 &#187; 近江旅支度</title>
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 <title>鳥居本のさんあか</title>
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 <pubDate>Thu, 30 Jun 2016 11:21:33 +0000</pubDate>
 <dc:creator>iwane-junko</dc:creator>
 <category><![CDATA[合羽所]]></category>
 <category><![CDATA[近江旅支度]]></category>
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 <description><![CDATA[京都の人にとっては鳥居本と聞くと嵯峨鳥居本を連想されるかと思うが、今回は旧中山道の鳥居本宿の話題である。
桜の花が散り始めたある日、突然テレビ編集プロダクションの方が来社された。「あのう、『鳥居本のさんあか』ってご存知で [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<p>京都の人にとっては鳥居本と聞くと嵯峨鳥居本を連想されるかと思うが、今回は旧中山道の鳥居本宿の話題である。</p>
<p>桜の花が散り始めたある日、突然テレビ編集プロダクションの方が来社された。「あのう、『鳥居本のさんあか』ってご存知ですか？」と訊ねられた。東京から来られたとのこと、かなり地域限定の言葉だけに、「どうしてそんなこと知っているの」と不思議になって問い返したところ、中山道に関する企画を考えている中で、鳥居本お宝発見隊のブログに掲載されていた「鳥居本のさんあか」が引っ掛かったとのことだった。</p>
<p>取材もかねて鳥居本に来たのだが、詳細がつかめなく、出会う人もなく困惑していたところに出版社があったので、ヒントをつかもうと飛び込んで来られたのだ。幸いにも私がその発信元である「鳥居本お宝発見隊」に所属していたのが彼女にとっては幸運であり、企画の全容をつかむことができた。そして、ついでながら私が案内役として番組に出演することになった。打ち合わせが進み、収録当日、落語家の林家三平さんと女優の村井美樹さんが鳥居本宿にやってきた。</p>
<p>目指すは「さんあか」の正体。まずは「近江名所図会」にも登場する赤玉神教丸を製造する有川家を訪問。有川智子さんが登場し、「赤玉神教丸は元治元年（1658）に多賀大社の神様の教えで調製したと伝わる整腸薬で、今も大変な人気があるのですよ」と、重要文化財の指定を受け、明治天皇が北国巡幸の際に休憩された玉座が残る建物の中で紹介されると当然、筆頭のあかの謎が解決する。</p>
<p>そして、合羽屋だった我が家に来られた。なぜ合羽が赤いのかということの説明をする。その昔、大阪で修業を積んだ馬場弥五郎という人が、防水、防湿に効果のある柿渋を塗布した合羽製造をこの地域で推奨したことから鳥居本で赤い合羽の製造が広まり、雨の多い木曽路に向かう旅人が鳥居本宿で買い求めたと話した。さらに、関東や東北に向かった近江商人が旅の途中に買い求めたのであろうか、北関東や東北の商家で鳥居本産の合羽を見たことがある。と続けた。残念ながら、ビニールなどの化学資材の登場で戦後まもなく鳥居合羽は役目を終えたが、街道沿いに残る看板が往時の面影を残している。</p>
<p>三平さんと村井さんは、保存してある合羽を身にまとい、すっかり旅人気分になったところで、ふたつの赤は見つかった。いよいよ3つ目の赤は何だということになった。<br />
残念ながらこれも今となってはほとんど痕跡がない。この地域は中世以来の古道がとおり、街道と山に挟まれ農地が少ない中山間地である。こうした条件の中で栽培に適したものを模索している中で浮上したのが、スイカであったという。旧鳥居本村の資料にこの経緯は残り、さらにスイカ栽培の副産物として「スイカ糖」が作られ販売していた印刷物が存在する。まさに幻だが、さんあかの一つに加えたのであった。</p>
<p>地域のお宝を探していた「鳥居本お宝発見隊」が見つけ出した地域ブランドは、予想以上に人気が集まり、地元中学生が「さんあかレンジャー」というキャラクターを作成し、今ではすっかり、まちの元気発信のシンボルとなっている。ブログの情報が、マスメディアに登場し、大きな効果ではないかもしれないが、まちの皆が輝くことはうれしい。小さな情報発信の波紋の広がりを身にしみて感じたできごとであった。（2016年6月29日京都新聞夕刊「現代のことば」より）</p>
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 <title>今年も開催「第4回とりいもと宿場まつり」</title>
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 <pubDate>Thu, 11 Aug 2011 01:40:47 +0000</pubDate>
 <dc:creator>iwane-junko</dc:creator>
 <category><![CDATA[とりいもと宿場まつり]]></category>
 <category><![CDATA[近江旅支度]]></category>
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 <description><![CDATA[
　　
―学ぼう、楽しもう『石田三成と鳥居本宿』―
　　
好評の「仏生寺みそ」のほか「三成むすび」「とりいもと汁」も誕生
新企画の参加に期待がかかる第4回の宿場まつり
　
日時　平成23年10月2日（日）　　９時３０分開 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignnone size-medium wp-image-1000003542" title="OLYMPUS DIGITAL CAMERA" src="/wp/img/p/2011/08/5b888acd04956070ba50160800e64e2a1-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /><br />
　　<br />
<strong>―学ぼう、楽しもう『石田三成と鳥居本宿』―</strong><br />
　　<br />
好評の「仏生寺みそ」のほか「三成むすび」「とりいもと汁」も誕生<br />
新企画の参加に期待がかかる第4回の宿場まつり<br />
　<br />
<strong>日時　平成23年10月2日（日）　　９時３０分開会　１６時閉会<br />
場所　旧中山道鳥居本街道一帯（鳥居本郵便局から有川製薬様まで）</strong></p>
<p><strong>特別公演「石田三成と佐和山城」<br />
長浜城歴史博物館参事　太田浩司　氏　13時30分から　専宗寺</strong><br />
　　<br />
＜当日の主な内容＞</p>
<p>●まるごと佐和山城ミニツアー　9時受付開始　鳥居本駅集合<br />
⇒申込　0748-46-6144<br />
●鳥居本に電気機関車がやってくる（終日）<br />
●写真展「鳥居本駅舎の四季」近江鉄道鳥居本駅舎<br />
●今に息づく鳥居本宿絵画展：街道一帯<br />
●宿場町の民家の公開と展示<br />
県指定文化財「神教丸」店舗/三成陣幕と佐和山発掘パネル展示／油絵ギャラリー<br />
旧庄屋成宮家/合羽所「木綿屋」/旧旅籠「鈴の音」　ほか<br />
●特別展示：上品寺　歌舞伎のモデル法海坊ゆかりの品々<br />
●鳥本の歴史と民話紙芝居上演：わらび座<br />
●手づくり市（アートバザールとフリーマーケット）<br />
●体験講座　　など<br />
　　<br />
↓写真は昨年の宿場まつりのようす↓<br />
　<br />
<a href="/?attachment_id=1000003538"><img class="alignnone size-medium wp-image-1000003538" title="OLYMPUS DIGITAL CAMERA" src="/wp/img/p/2011/08/0282488ebec974fb1d5e77fdeb2c62bd1-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a><br />
　　<br />
<a href="/?attachment_id=1000003539"><img class="alignnone size-medium wp-image-1000003539" title="OLYMPUS DIGITAL CAMERA" src="/wp/img/p/2011/08/88ae729a6bf6c5f429aea9802b8d95e1-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a><br />
　　<br />
<a href="/tori5-1/olympus-digital-camera-14/" rel="attachment wp-att-1000003574"><img src="/wp/img/p/2011/08/f49c2c19e19fc27c6fb3f3dfabbef86d2-300x202.jpg" alt="" title="OLYMPUS DIGITAL CAMERA" width="300" height="202" class="alignnone size-medium wp-image-1000003574" /></a><br />
　　<br />
<a href="/tori5-1/olympus-digital-camera-15/" rel="attachment wp-att-1000003575"><img src="/wp/img/p/2011/08/73297ddaf6a1ed710ddd4809e1fa4f161-300x225.jpg" alt="" title="OLYMPUS DIGITAL CAMERA" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1000003575" /></a><br />
　　<br />
<a href="/tori5-1/%e8%a1%8c%e5%88%97%e3%81%8c%e3%81%a7%ef%bd%8a%e3%81%8d%e3%82%8b%e3%80%8c%e4%b8%89%e6%88%90%e6%b1%81%e3%80%8d-2/" rel="attachment wp-att-1000003576"><img src="/wp/img/p/2011/08/8e3d8976b086501db4dfebde45da10581-300x200.jpg" alt="" title="行列がでｊきる「三成汁」" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-1000003576" /></a><br />
　　<br />
鳥居本宿場の様子は下記でご紹介しています<br />
<a href="/category/iwane/%e4%b8%ad%e5%b1%b1%e9%81%93/">http://www.sunrise-pub.co.jp/category/iwane/%e4%b8%ad%e5%b1%b1%e9%81%93/</a><br />
　　</p>
]]></content:encoded>
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 <title>小野から旧鳥へ宿場の変更</title>
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 <pubDate>Mon, 30 Aug 2010 06:52:31 +0000</pubDate>
 <dc:creator>admin</dc:creator>
 <category><![CDATA[街道のまちなみとくらし]]></category>
 <category><![CDATA[近江旅支度]]></category>
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 <description><![CDATA[　慶長５年（1600）関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康は、江戸と京都を結ぶ重要な街道として東海道と中山道の宿駅の整備を始め、慶長７年（1602）中山道に、公用の継立場にあたる伝馬の制度を定めました。この年から400年を迎え [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<p>　慶長５年（1600）関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康は、江戸と京都を結ぶ重要な街道として東海道と中山道の宿駅の整備を始め、慶長７年（1602）中山道に、公用の継立場にあたる伝馬の制度を定めました。この年から400年を迎えた平成14年（2002）には、６つの宿場を持つ滋賀県をはじめ街道沿いの各地で400年記念のイベントが大々的に開催されました。<br />
　江戸から63番目の鳥居本宿は、番場（現坂田郡米原町）と高宮の間に位置し、それぞれ約１里１町、１里半の距離があります。下矢倉村からは北国街道へ、南端の百々村からは朝鮮人街道（彦根道）が分岐し、まさに交通の要衝として発展してきました。<br />
　鳥居本に宿場が置かれた時期については、いままでは小野の宿場が宿駅の機能を長年果たしていたと伝わっていましたが、このほど、彦根城博物館の調査によって、慶長８年（1603）に彦根に地割りをするために江戸からやってきた奉行嶋角左衛門が、小野宿で本陣を務める庄兵衛に、鳥居本に宿を移すように命じたという記述が確認されました。<br />
　慶長７年（1602）７月幕府の命によって奈良屋・屋が中山道宿々の駄賃銭を定めた際には、小野村が伝馬継所とされていましたが、翌年には鳥居本に宿が移され、小野で代々本陣を務めていた寺村家が鳥居本宿の本陣を務めるようになったのです。（右上写真文書）<br />
　鎌倉時代の『実暁記』では、守山・武佐・愛知川・番場・醒井・柏原の６宿が登場し、同じく鎌倉時代の『十六夜日記』には守山・野洲川・鏡・小野・醒井の地名が見られ、いずれも、中世の東山道の宿駅として存在し、中山道の宿駅制定後も宿場機能が続きましたが、高宮と鳥居本には、江戸時代になって新しく宿場が設置されました。<br />
　一旦、小野に宿駅を命じた後に、幕府が鳥居本に宿を移すことを命じた背景には、彦根城下町の建設計画と密接なつながりがあったのです。直政の戦功で、佐和山城を拝領した井伊家では、佐和山城を改修することも視野に置きながらも、湖岸に近く、城下町を形成しやすい彦根山に築城することを決め、築城と同時に城下から中山道に出る脇街道のルートについてもこのとき決められたのです。</p>
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 <item>
 <title>小野から旧鳥へ宿場の変更</title>
 <link>https://www.sunrise-pub.co.jp/tori3-1/</link>
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 <pubDate>Mon, 30 Aug 2010 06:38:06 +0000</pubDate>
 <dc:creator>admin</dc:creator>
 <category><![CDATA[城下町彦根の建設と鳥居本]]></category>
 <category><![CDATA[近江旅支度]]></category>
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 <description><![CDATA[　慶長５年（1600）関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康は、江戸と京都を結ぶ重要な街道として東海道と中山道の宿駅の整備を始め、慶長７年（1602）中山道に、公用の継立場にあたる伝馬の制度を定めました。この年から400年を迎え [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<p>　慶長５年（1600）関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康は、江戸と京都を結ぶ重要な街道として東海道と中山道の宿駅の整備を始め、慶長７年（1602）中山道に、公用の継立場にあたる伝馬の制度を定めました。この年から400年を迎えた平成14年（2002）には、６つの宿場を持つ滋賀県をはじめ街道沿いの各地で400年記念のイベントが大々的に開催されました。<br />
　江戸から63番目の鳥居本宿は、番場（現坂田郡米原町）と高宮の間に位置し、それぞれ約１里１町、１里半の距離があります。下矢倉村からは北国街道へ、南端の百々村からは朝鮮人街道（彦根道）が分岐し、まさに交通の要衝として発展してきました。<br />
　鳥居本に宿場が置かれた時期については、いままでは小野の宿場が宿駅の機能を長年果たしていたと伝わっていましたが、このほど、彦根城博物館の調査によって、慶長８年（1603）に彦根に地割りをするために江戸からやってきた奉行嶋角左衛門が、小野宿で本陣を務める庄兵衛に、鳥居本に宿を移すように命じたという記述が確認されました。<br />
　慶長７年（1602）７月幕府の命によって奈良屋・屋が中山道宿々の駄賃銭を定めた際には、小野村が伝馬継所とされていましたが、翌年には鳥居本に宿が移され、小野で代々本陣を務めていた寺村家が鳥居本宿の本陣を務めるようになったのです。（右上写真文書）<br />
　鎌倉時代の『実暁記』では、守山・武佐・愛知川・番場・醒井・柏原の６宿が登場し、同じく鎌倉時代の『十六夜日記』には守山・野洲川・鏡・小野・醒井の地名が見られ、いずれも、中世の東山道の宿駅として存在し、中山道の宿駅制定後も宿場機能が続きましたが、高宮と鳥居本には、江戸時代になって新しく宿場が設置されました。<br />
　一旦、小野に宿駅を命じた後に、幕府が鳥居本に宿を移すことを命じた背景には、彦根城下町の建設計画と密接なつながりがあったのです。直政の戦功で、佐和山城を拝領した井伊家では、佐和山城を改修することも視野に置きながらも、湖岸に近く、城下町を形成しやすい彦根山に築城することを決め、築城と同時に城下から中山道に出る脇街道のルートについてもこのとき決められたのです。</p>
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 <title>歌枕に残る「不知哉川」</title>
 <link>https://www.sunrise-pub.co.jp/tori2-1/</link>
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 <pubDate>Mon, 30 Aug 2010 06:30:59 +0000</pubDate>
 <dc:creator>admin</dc:creator>
 <category><![CDATA[中山道制定以前の鳥居本]]></category>
 <category><![CDATA[近江旅支度]]></category>
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 <description><![CDATA[　旧中山道を鳥居本から西に進み、大堀町にはいると芹川の手前にこんもりとお椀を伏せたような大堀山（別名鞍掛山）があります。この山が壬申の乱の戦場となった「鳥籠山」ではないかといわれています。
『万葉集』では
淡海路の鳥籠の [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<p>　旧中山道を鳥居本から西に進み、大堀町にはいると芹川の手前にこんもりとお椀を伏せたような大堀山（別名鞍掛山）があります。この山が壬申の乱の戦場となった「鳥籠山」ではないかといわれています。<br />
『万葉集』では</p>
<pre>淡海路の鳥籠の山なる不知哉川
　　　　　　　日のこのごろは恋ひつつもあらむ
狗上の　鳥籠の山なる不知哉川
　　　　　　　いさとを聞こせ　我が名を告ぐらすな</pre>
<p>と詠まれ、歌枕の地として知られています。<br />
　鳥籠の山とセットで詠まれるので、不知哉川は芹川であるとする説が有力ですが、「鳥籠山」は正法寺山や東山であるという説や、不知哉川は、原町を流れる小川であるともいわれます。鳥籠山の比定地についての見解はさまざまですが、中山道は古代の東山道を踏襲して決められたという経緯から、古代の鳥籠駅の所在論争にも大きく影響します。<br />
　『延喜式』では鳥籠駅に15匹の駅馬を備えたと記され、大堀山と芹川のある周辺が鳥籠駅であった可能性が高いとされます。しかしながら、具体的な調査が行われていないので確証はなく、大堀町から地蔵町、正法寺町、原町あたり一帯が鳥籠駅であろうという可能性が残ります。</p>
<p>　原町を流れる「不知哉川」の源のある東山は、古くから「山神さん」として信仰され、山頂付近の一角には石を四角に敷き詰められた上に小さな石塔がおかれ、３月と12月の祭礼には原の人々が参拝に訪れます。彦根インターチェンジ近くの原八幡神社の社内には、聖徳太子建立の伝承を持つ永光山宝瑞寺がありましたが、明治の神仏分離で廃寺となりました。その後、中興開山の墓石などわずかにその姿をとどめていましたが、近年の神社境内の整備に際して供養塔が建立されました。神社境内の整備が進むと同時に、平成９年には、氏子たちによって日本一の大太鼓が奉納されました。</p>
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 <title>奈良時代の製鉄遺跡と鳥居本</title>
 <link>https://www.sunrise-pub.co.jp/tori1-1/</link>
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 <pubDate>Mon, 30 Aug 2010 06:15:34 +0000</pubDate>
 <dc:creator>admin</dc:creator>
 <category><![CDATA[近江旅支度]]></category>
 <category><![CDATA[鳥居本のおいたち]]></category>
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 <description><![CDATA[　かつて、鳥居本の地名で呼ばれていた地域は、現在の旧鳥のことで、江戸時代に中山道の宿場町が誕生すると、佐和山山麓の村々が街道沿いに移転し、現在のように街道を中心とした鳥居本宿場町が形成されてきました。国宝彦根城を有する旧 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<p>　かつて、鳥居本の地名で呼ばれていた地域は、現在の旧鳥のことで、江戸時代に中山道の宿場町が誕生すると、佐和山山麓の村々が街道沿いに移転し、現在のように街道を中心とした鳥居本宿場町が形成されてきました。国宝彦根城を有する旧彦根町は井伊家が彦根藩主となった近世に誕生したまちですが、彦根市の中でも旧犬上・愛知郡に属していた集落や、坂田郡に属していた鳥居本村などは、旧市内地より早くから人々が住まいしていたとされます。<br />
　彦根市の歴史を語る史料でもっとも古いものが、鳥居本から琵琶湖に注ぐ矢倉川下流域から出土した縄文土器で、彦根周辺には縄文時代からの歴史が残ります。霊仙山麓の扇状地である鳥居本には、古来より人々の生活があったと考えられる遺跡の存在が確認されていますが、残念なことに十分な調査が行われていません。唯一、1996年に最終処分場建設に際して行われた調査から、中山町キドラ遺跡が奈良時代の製鉄遺跡であったことが判明し、近くには鍛冶に関係すると考えられる遺構が検出されました。<br />
　飛鳥時代、奈良時代頃には男鬼・武奈・仏生寺・荘厳寺など霊仙山麓の集落に寺院があり、東山道の街道に面していた原や小野には古い時代からの多くの伝承が伝わるなど、鳥居本の地は600年頃からの歴史や文化が残る地域です。当時、鳥居本の大部分は「小野庄」に、武奈・明幸は「箕浦庄」に属していました。<br />
　<br />
<a href="/tori1-2/"><strong>中山道の宿場町</strong></a></p>
<div style='width:205px;float:left;margin:0 10px 10px 0;padding:5px;border:1px solid #dcdcdc;' class="tori-img"><img src="/wp/wp-content/uploads/tori/1_2.jpg" alt="有川家" title="有川家" width="200" height="140" border="0" /><br />
<small>江戸時代は鳥居本がもっとも栄えた時代で、中山道の宿場として街道沿いには商家や旅籠が連なった。宝暦年間に建ったといわれる有川家は当時の繁栄を物語る</small></div>
<p>　豊かな田園が広がる鳥居本の平野部もかつては、琵琶湖の内湖で、山田神社付近まで内湖が迫っていたようです。鳥居本村であった頃の地形は、今と大きく異なり、鳥居本は山々と内湖に挟まれた狭い土地でした。こうした地形的な要因によって、東西文化が行き交う重要な交通の要衝として発展してきました。そして、また壬申の乱をはじめ、幾たびも戦火にまみえることにもなりました。中世になって佐和山城が築かれると、よりその傾向は顕著となりましたが、佐和山城が落城し、彦根の城下町が整備されると彦根藩の支配下で明治維新まで大いに繁栄しました。宿場町鳥居本には、街道を行き交う人々相手の旅籠や商家が生まれ、赤玉神教丸や合羽など鳥居本の名産も誕生しています。</p>
<p>　<br />
<a href="/tori1-3/"><strong>鳥居本村の成立</strong></a><br />
　明治維新後の廃藩置県によって鳥居本を支配していた彦根藩は消滅し、新たに彦根縣が設置され彦根知事に井伊直憲が任命されます。そして明治７年（1874）に百々、西法寺、上矢倉の３ヶ村が旧鳥居本と合併して鳥居本村が誕生し、明治22年（1889）には下矢倉、甲田、古西法寺、宮田、中山、荘厳寺、仏生寺、武奈、男鬼、小野、原の各村が合併して坂田郡鳥居本村になり、昭和27年に彦根市に合併するまで60年間続きました。<br />
　明治以降、新しい交通機関の発達は鳥居本に大きな影響を及ぼし、交通の重要地点が米原に移ると、鳥居本のかつての繁栄は見る影もなく寂れましたが、地域内の結束は堅く、活発な青年団活動や協同経営による産業振興策が展開されました。<br />
　<br />
　<br />
<a href="/tori1-4/"><strong>郡域を超えて彦根市の合併</strong></a>　<br />
　昭和６年、近江鉄道鳥居本駅の誕生は村民の大きな喜びでした。そして新しい交通手段の登場は、当時の鳥居本の産業振興に大きな成果がありました。しかし、鉄道から道路輸送中心の時代が到来すると、鳥居本村は大きな岐路を迎えることとなります。国道建設をも視野において彦根市との合併問題が発生し、単独中学校の建設の問題を抱えて、合併の是非を問う住民投票の結果、昭和27年（1952）に彦根市に合併しました。彦根市の面積の25％を占める鳥居本は、豊かな自然に恵まれた地域ですが、合併後50年を迎えた今、新たな将来展望の計画の必要性に迫られています。<br />
　　<br />
　<br />
<a href="/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E6%9C%AC%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1/"><strong>鳥居本小学校</strong></a><br />
　明治19年11月１日小学校令が実施され、今まで各集落ごとにあった学校が廃止され鳥居本尋常科小学校、鳥居本簡易小学校として開校しました。明治24 年４月１日小学校令が改正され、原、荘厳寺、武奈、男鬼の学校が廃止され、鳥居本全村を通学区域とする鳥居本尋常小学校となりました。明治31年４月には高等科を設置し鳥居本尋常高等小学校と改称。昭和16年４月１日国民学校令により鳥居本国民学校と改称。昭和22年の新教育制度６・３・３制の学制実施により昭和23年４月１日から鳥居本小学校と改称され現在に至っています。<br />
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 <title>本陣と脇本陣</title>
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 <pubDate>Fri, 30 Jul 2010 06:57:53 +0000</pubDate>
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 <category><![CDATA[街道のまちなみとくらし]]></category>
 <category><![CDATA[近江旅支度]]></category>
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 <description><![CDATA[　慶長８年、小野から鳥居本に宿場が移った時、小野宿で本陣を務めていた寺村庄兵衛は、引き続いて明治維新まで鳥居本宿で本陣を務めました。寺村家は、佐々木氏の一族で蒲生郡寺村（現在の蒲生町）に所領があったことから寺村の姓を名乗 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<p>　慶長８年、小野から鳥居本に宿場が移った時、小野宿で本陣を務めていた寺村庄兵衛は、引き続いて明治維新まで鳥居本宿で本陣を務めました。寺村家は、佐々木氏の一族で蒲生郡寺村（現在の蒲生町）に所領があったことから寺村の姓を名乗るようになり、六角氏の配下の武士でしたが、六角氏の滅亡後に、寺村行隆・規行親子が小野に住まいし、ここで本陣を務めるようになったと当家の系図が伝えています。病身であることから武士を捨てて本陣を務めるようになった規行には２人の兄弟があり、ともに長浜城主であった山内一豊に仕えています。規行から数えて10代目の義貴の時に、本陣は廃止となりました。<br />
　本陣は、大名や公家・幕府の役人などが宿泊や休息をとった施設で、利用頻度が多かった守山や草津には２軒の本陣がありましたが鳥居本には１軒の本陣が定められていました。鳥居本本陣は合計201帖もある広い屋敷でしたが、昭和12年にはヴォーリズの設計によって和風洋館に建て替えられました。この建物は、和風様式を取り入れたヴォーリズ独特の建築様式を持つ近代化遺産として高く評価されています。本陣の面影は、母屋横の倉庫の門として現存する本陣の門扉に残されています。<br />
　寺村家から一軒おいた隣には脇本陣と問屋を務めた高橋家があります。屋敷は昭和45年に建て替えられていますが、道路沿いの塀にはかつての脇本陣の趣が残ります。脇本陣は高橋家の他に本陣の前にもう１軒ありましたが、早くになくなっています。<br />
　高橋家の表は問屋場としての機能を持ち、街道輸送に必要な馬や人足を常備して、宿場間の物流をスムーズに行うシステムの中に決められた機能を果たしていました。中山道では各宿場に50人の人足と50匹の馬を常備するように決められ、脇本陣の間取り図からは、人足たちがいろりを囲んで暖をとったであろうと想像できる10坪の広い広間が入り口近くにありました。問屋の仕事はかなりの重職で、これを補佐する年寄や庄屋・横目などと呼ばれる人が補佐していました。<br />
　寺村家の文政12年（1829）から天保12年（1841）までの大福帳によると、本陣宿泊客の状況は、13年間に161回3594人が宿泊しています。１年間の利用回数にばらつきがありますが、平均で年間利用回数12.4回、１回の平均利用者数22.3人であったことがわかります。また１回の利用者数の最多は80人で、最小は２人で、実際は50～60人がその収容限度でした。参勤交代の大名の供揃のように200～300人に達すると、全部を本陣に収容することはできず、多い時には156軒の下宿が必要になったようです。<br />
　宿場町時代からの屋号はいまも生活の中にいきていますが、本陣や問屋を務めた寺村家、高橋家は「ホンジ」「トイヤ」と呼ばれ、宿場町ならの呼び名が今に伝わります。</p>
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 <title>中山道から彦根城下への道</title>
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 <pubDate>Fri, 30 Jul 2010 06:38:32 +0000</pubDate>
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 <category><![CDATA[城下町彦根の建設と鳥居本]]></category>
 <category><![CDATA[近江旅支度]]></category>
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 <description><![CDATA[　百々に立つ道標で分岐した彦根道（朝鮮人街道）は佐和山の切り通しと呼ばれる道を越えて彦根の城下にはいりました。現在では佐和山トンネルが貫通し、旧道は国道に遮断されていますが、山を越え古沢町に続いていました。大正時代に鳥居 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<p>　百々に立つ道標で分岐した彦根道（朝鮮人街道）は佐和山の切り通しと呼ばれる道を越えて彦根の城下にはいりました。現在では佐和山トンネルが貫通し、旧道は国道に遮断されていますが、山を越え古沢町に続いていました。大正時代に鳥居本から彦根の女学校に通学していた人の話では、常に履き物（当時のことでわら草履であったと思われる）を余分に携行していたと聞きます。また帰宅が遅くなったり、雪が降った時には、当家の下男が送り迎えをしたとのことです。トンネルが開通していちばん喜んだのは、鳥居本を顧客としていた彦根側の麓の商人であったという話も伝わります。<br />
　それはともかく、この切り通しは戦国時代に佐和山城太鼓丸の防御施設であった切り通しを利用したとの説があり、その後井伊直孝の時代に整備され、元和年間（1615～24）に彦根城下町の整備と並行して鳥居本の施設が整う過程で道路が整備されたようです。<br />
　中山道と城下を結ぶ脇街道は、鳥居本宿から切通峠を越え、外船道を通り、現在のキャッスルホテル近くの切通口御門に入り、一方高宮からは大堀町の分岐を示す道標から東沼波をとおり七曲がりを通過し高宮口御門（現在のあさひ銀行）に入ります。現在の中央町には、城下町の宿駅機能をもった伝馬町があり、脇街道は、国内の幹線道路と城下町を結ぶバイパスの機能を果たしていました。</p>
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 <title>小町伝承が残る中世の宿場「小野宿」</title>
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 <pubDate>Fri, 30 Jul 2010 06:31:41 +0000</pubDate>
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 <category><![CDATA[中山道制定以前の鳥居本]]></category>
 <category><![CDATA[近江旅支度]]></category>
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 <description><![CDATA[　鎌倉時代に阿仏尼（藤原定家の子）が書いた『十六夜日記』や『太平記』『実暁記』では宿場としての小野の地名を見ることができます。中山道の原型は古代最大の幹線道路「東山道」であったと推測されており、小野は早い時代から宿場の機 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<p>　鎌倉時代に阿仏尼（藤原定家の子）が書いた『十六夜日記』や『太平記』『実暁記』では宿場としての小野の地名を見ることができます。中山道の原型は古代最大の幹線道路「東山道」であったと推測されており、小野は早い時代から宿場の機能を果たしていました。原から小野の集落に入る街道の傍にたたずむ小さな祠の中には小町地蔵とよばれる１体の地蔵さまが安置されています、この祠は小町塚と称され小野小町伝承を伝えています。京都から北陸・関東へ往復していた当時の公人たちが小野宿にたびたび宿泊していたことから生まれた伝承であろうと考えられます。小野小町に関する伝承地は全国に25ヶ所以上存在し、絶世の美女であったといわれるだけにその伝承も多いのです。<br />
　小野町に伝わる話では、小野好実が奥州最上・出羽の郡司の任期を終えて京に帰る途中、小野に滞在し、ここの住人から１人の娘をもらい受け、京につれて帰り、養育して養女にしたのが、後の小町であったというものです。出羽守小野好実は、滋賀郡志賀町に祀られる小野 篁 の二男ですが、好実の娘が小町であるという真偽のほどは不確かであると考えられています。<br />
　小野小町地蔵付近には、明治の中頃まで茶屋があったと伝わりますが、現在は、名神高速道路と新幹線そして旧中山道がもっとも接近する所です。文明の喧噪の中にひっそりたたずむ美女伝承は、旧道ならではの趣といえましょう。<br />
　小野宿がいつ頃から宿場の機能を果たしていたのかは不明ですが、大堀あるいは原周辺の鳥籠駅と山東町の横川駅の間に位置した中世以来の駅（宿場）であったことは確かです。このような小野宿も、関ヶ原の戦い後には、攻撃を受けた佐和山城の影響で、集落ごと焼き払われてしまいました。小野で本陣を務めていた寺村家はその後旧鳥に移り、引き続き本陣を務めました。</p>
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 <title>中山道の宿場町</title>
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 <pubDate>Fri, 30 Jul 2010 06:17:41 +0000</pubDate>
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 <category><![CDATA[近江旅支度]]></category>
 <category><![CDATA[鳥居本のおいたち]]></category>
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江戸時代は鳥居本がもっとも栄えた時代で、中山道の宿場として街道沿いには商家や旅籠が連なった。宝暦年間に建ったといわれる有川家は当時の繁栄を物語る
　豊かな田園が広がる鳥居本の平野部もかつては、琵琶湖の内湖で、山田神社付 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<div style='width:205px;float:left;margin:0 10px 10px 0;padding:5px;border:1px solid #dcdcdc;' class="tori-img"><img src="/wp/wp-content/uploads/tori/1_2.jpg" alt="有川家" title="有川家" width="200" height="140" border="0" /><br />
<small>江戸時代は鳥居本がもっとも栄えた時代で、中山道の宿場として街道沿いには商家や旅籠が連なった。宝暦年間に建ったといわれる有川家は当時の繁栄を物語る</small></div>
<p>　豊かな田園が広がる鳥居本の平野部もかつては、琵琶湖の内湖で、山田神社付近まで内湖が迫っていたようです。鳥居本村であった頃の地形は、今と大きく異なり、鳥居本は山々と内湖に挟まれた狭い土地でした。こうした地形的な要因によって、東西文化が行き交う重要な交通の要衝として発展してきました。そして、また壬申の乱をはじめ、幾たびも戦火にまみえることにもなりました。中世になって佐和山城が築かれると、よりその傾向は顕著となりましたが、佐和山城が落城し、彦根の城下町が整備されると彦根藩の支配下で明治維新まで大いに繁栄しました。宿場町鳥居本には、街道を行き交う人々相手の旅籠や商家が生まれ、赤玉神教丸や合羽など鳥居本の名産も誕生しています。</p>
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