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	<title>サンライズ出版 &#187; ア</title>
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 <title>愛する人へのケアのかたち</title>
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 <pubDate>Sun, 17 Dec 2023 15:00:00 +0000</pubDate>
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 <description><![CDATA[アイスルヒトヘノケアノカタチ イリョウジュウジシャノカゾクカンゴタイケン 978-4-88325-802-4 9784883258024 4-88325-802-5 4883258025 3047 愛する人へのケアのかた [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<div class="invisible">アイスルヒトヘノケアノカタチ イリョウジュウジシャノカゾクカンゴタイケン 978-4-88325-802-4 9784883258024 4-88325-802-5 4883258025 3047 愛する人へのケアのかたち 医療従事者の家族看護体験 栃本千鶴 柿原加代子 西村純子 山下恵子 トチモトチヅル カキハラカヨコ ニシムラジュンコ ヤマシタケイコ 1947年滋賀県長浜市生まれ。自衛隊中央病院高等看護学院卒、兵庫県立総合衛生学院保健学科卒、慶応義塾大学法学部法律学科卒、愛知淑徳大学大学院現代社会研究科専攻（修士課程）（博士課程）。学術博士。自衛隊阪神地区病院、野村證券大阪支店健康管理室、尼崎市保健所、名古屋市保健所勤務を経て、現在は岐阜保健大学大学院教授（公衆衛生看護、地域在宅看護）で教鞭を執る。<br />
「戦後の台湾の高齢福祉」（法政論叢第44巻第1号　2007年）など論文多数。 1956年佐賀県生まれ。名古屋赤十字看護専門学校卒、佛教大学社会学部社会福祉学科卒。日本福祉大学大学院社会福祉学研究科福祉マネジメント専攻修了、日本福祉大学大学院社会福祉学専攻博士後期課程満期修了。元四日市看護医療大学教授を歴任。<br />
「日本における『ケアリング』研究の動向と課題」（「ケアリング実践」に関する研究の看護・社会背景からの検討―２０２１年３月文化情報研究　第２号）など論文あり。 1950年北海道生まれ。国立療養所中部病院附属高等看護専門学校卒、愛知県立総合看護学院公衆衛生看護学科卒、日本大学通信教育学部政治経済学科卒、日本福祉大学大学院医療・福祉マネジメント研究科医療・福祉マネジメント専攻修士課程修了。名古屋市保健師、岐阜保健短期大学看護学科、椙山女学園大学看護学部勤務を経て退職。<br />
「在宅寝たきり者援助の視点―寝たきり者基礎票の分析から」（公衆衛生看護学会　2016年）などの論文あり。 1947年栃木県生まれ。自衛隊中央病院高等看護学院卒、都立公衆衛生看護学院保健婦科卒。自衛隊中央病院、ソニー株式会社健康管理室、都立世田谷リハビリテーションセンター、武蔵調布保健所、埼玉県日高市役所勤務を経て退職。 サンライズ出版 サンライズシュッパン はじめに<br />
１　ケアを受ける人とケアをする人　　　　栃本千鶴<br />
２　ケアリングとは　　　　　　　　　　　柿原加代子<br />
３　夫の意思決定で緩和ケア病棟へ　　　　栃本千鶴<br />
４　夫のケアを振り返って　　　　　　　　山下恵子<br />
５　ケアされること、ケアすること　　　　柿原加代子<br />
６　保健師のケア体験　　　　　　　　　　西村純子<br />
７　ケアを受ける人とケアをする人の尊厳　栃本千鶴<br />
８　看護職がケアするとは　　　　　　　　栃本千鶴<br />
編者あとがき<br />
著者紹介 妻は二日間泊まって口腔ケア等をした。夫は口頭で「ありがとう」を二回言った。──あなたは終末を迎えるときに、おだやかに受け入れることがことができるだろうか。人間らしく尊厳をもって扱ってほしいのはだれしもが望むこと。それぞれ両親や夫、妹などの終末期介護を体験した看護師・保健師が、ケアする家族の視点から、緩和ケア病棟や在宅療養の現場とケアされる者の最期の日々を記録。家族を看とった医療従事者の体験から、あるべきケアのかたちを考える。 </div>
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 <title>あかねいろの宝箱</title>
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 <pubDate>Thu, 19 Oct 2023 15:00:00 +0000</pubDate>
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 <description><![CDATA[アカネイロノタカラバコ ボクラシガッコ 978-4-88325-798-0 9784883257980 4-88325-798-3 4883257983 8095 あかねいろの宝箱 ぼくら滋賀っ子 滋賀県児童図書研究会 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<div class="invisible">アカネイロノタカラバコ ボクラシガッコ 978-4-88325-798-0 9784883257980 4-88325-798-3 4883257983 8095 あかねいろの宝箱 ぼくら滋賀っ子 滋賀県児童図書研究会 シガケンジドウトショケンキュウカイ サンライズ出版 サンライズシュッパン この本を読むみなさんへ<br />
「天保義民を知らない」なんて言わせない 文と絵・楠　秋生<br />
はらおびさま　　文 ・田中純子　　絵・お絵え描かきの妹<br />
ほたるの家　文と絵・林田博恵<br />
甲良豊後守宗広とサシガネ 文と絵・竹谷利子<br />
電車でビワイチ　　文・近藤きく江　　絵・美濃部幸代<br />
人間は考えるアシだ　　文・寺井一二三　　絵・小林光子<br />
竜王町鏡の宿の義経伝説　　文・フルハタノリコ　　絵・克つ<br />
丁稚ようかん 　文と絵・西堀たみ子<br />
こころをみがく　　文・平松成美　　絵・伊藤　空<br />
びん細工手まり 文と絵・松本由美子<br />
トレーニングセンターってどんなところ？ 　　文・原田義子　　絵・美濃部幸代<br />
びわこチキンこクリームこ 文と絵・岸　栄吾<br />
どうよ！ 土倉鉱山 　　文・藤谷礼子　　絵・美濃部幸代<br />
解説<br />
参考文献<br />
挿絵をかいた人たち<br />
執筆者紹介 あかねいろの宝箱<br />
『あかねいろの宝箱』ができました。<br />
「あかねいろって？」<br />
「宝箱って？」<br />
　首をかしげたお友だちがいるかもしれませんね。<br />
　この本は、宝箱シリーズの６作目です。<br />
　シリーズの一作目は、『滋賀の子どものたからばこ』で、２０１３年にできました。<br />
「びわ湖は滋賀県のたからものだけれど、ほかにもたからものがあるのとちがう」<br />
「ある。ある。わたしの町に自じ慢まんのたからがあるわ」<br />
「ぼくが知っている学校では、おもしろいことやっていますよ」<br />
「ねえ、みんなでたからもの探さがししてみない」<br />
「子どもたちにも探してもらいましょう」<br />
　たからもの探しは、10年間もつづいています。<br />
「どんなたからものが見つかったの？」<br />
　そう思ったお友だちは、図書室に行ってみてください。<br />
『あかねいろの宝箱』は、大きな本ではありません。あつい本でもありません。目立つ本ではないのです。だから、見つけようと思わないと、見つけられません。たからもの<br />
は、きらきらしているとは、かぎらないのです。<br />
『あかねいろの宝箱』には、13のたからものが入っています。<br />
　たからものを探したお友だちが主人公のお話もありますよ。<br />
　宝箱シリーズの本を探せたら、表紙を開いてみて下さい。<br />
　いろいろな色が並んだでしょう。<br />
「にじの色みたい」<br />
　そんなことを思った人がいるかもしれませんね。<br />
　あかねいろは、むかしの人がみつけた赤のなかまの色です。赤のなかまには、さくら<br />
色とき色さんご色もも色からくれないしゅ色ひ色ばら色つつじ色えんじいちご色うすねず……などがあります。むかしの人の見方や感じ方は、ちょっと不ふ思し議ぎでおもしろいと思いませんか。<br />
　こんどあなたの〝たからもの〟を教えてください。<br />
　宝箱に入れて、たくさんのお友だちに知らせてみませんか？<br />
滋賀県児童図書研究会顧問　　今関信子 『滋賀の子どものたからばこ』『続　滋賀の子どものたからばこ』『にじいろ宝箱』『はっぱいろの宝箱』『おひさまいろの宝箱』に続く６冊目の童話集。祖母と守山のホタルの出会いを追った「ほたるの家」、今は閉ざされた鉱山跡を訪れる「どうよ！　土倉鉱山」など13編。 滋賀の子どものたからばこ<br />
続　滋賀の子どものたからばこ<br />
にじいろたからばこ<br />
はっぱいろの宝箱<br />
おひさまいろの宝箱 </div>
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 <title>浅井長政と姉川合戦　増補版</title>
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 <pubDate>Sat, 30 Sep 2023 15:00:00 +0000</pubDate>
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 <description><![CDATA[アザイナガマサトアネガワカッセン ゾウホバン ソノハンエイトメツボウヘノキセキ 978-4-88325-797-3 9784883257973 4-88325-797-5 4883257975 0321 浅井長政と姉川合 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<div class="invisible">アザイナガマサトアネガワカッセン ゾウホバン ソノハンエイトメツボウヘノキセキ 978-4-88325-797-3 9784883257973 4-88325-797-5 4883257975 0321 浅井長政と姉川合戦　増補版 その繁栄と滅亡への軌跡 淡海文庫 オウミブンコ 太田浩司 オオタヒロシ 1961年、東京都世田谷区生まれ。1986年明治大学大学院文学研究科（史学専攻）博士前期（修士）課程修了。専攻は、日本中世史・近世史。特に、国宝「菅浦文書」や、戦国大名浅井氏に関する研究を行なう。長浜市立長浜城歴史博物館館長などを経て現在は淡海歴史研究所所長。2011年ＮＨＫ大河ドラマ「江～姫たちの戦国～」の時代考証スタッフをつとめた。<br />
著書に『テクノクラート小堀遠州』『近江が生んだ知将　石田三成』『湖の城・舟・湊』『北近江地名考』いずれもサンライズ出版、その他著書・共著多数 サンライズ出版 サンライズシュッパン 一　戦国大名浅井氏の歴史<br />
二　浅井長政の居城・小谷城<br />
三　浅井長政と家臣・寺院<br />
　　追録　浅井家家臣　下坂氏館跡<br />
四　浅井長政と元亀争乱<br />
五　姉川合戦　おわりのはじまり～さらなる浅井氏研究へ～<br />
　　追録　地図・絵図から探る姉川合戦 　<br />
浅井氏関係年表<br />
古文書釈文集 「長政軍は姉川の合戦で大敗していない」「浅井・朝倉同盟は存在しなかった」──これが史料から読みとれる真実である。戦国史の多くの常識が江戸時代以降の創作物によってつくられたものであり、浅井長政に関するものも例外ではない。大河ドラマ「江～姫たちの戦国～」で時代資料提供者として活躍した著者が、最新の研究成果を基に、大河ドラマでは描かれることのなかった浅井長政の真実に迫る。浅井氏家臣の下坂氏館跡、絵地図類から探る姉川合戦を追加して、より多角的に長政や姉川合戦を考えることができる。2011年発行の増補版。 </div>
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 <title>アントレプレナーシップ経営の実践</title>
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 <pubDate>Tue, 21 Sep 2021 15:00:00 +0000</pubDate>
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 <description><![CDATA[アントレプレナーシップケイエイノジッセン 978-4-88325-740-9 9784883257409 4-88325-740-1 4883257401 0034 アントレプレナーシップ経営の実践 原清 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<div class="invisible">アントレプレナーシップケイエイノジッセン 978-4-88325-740-9 9784883257409 4-88325-740-1 4883257401 0034 アントレプレナーシップ経営の実践 原清 ハラキヨシ 滋賀県彦根市生まれ<br />
1969年台湾・国立中興大学農学部農業経済研究所修士課程卒<br />
工作機メーカーの倒産、会社更生法適用申請にともない勤務していた系列会社退社。<br />
1975年大手経営コンサルタント会社に約３年、誘いを受けたコンサル会社で５年の大阪勤務。<br />
1982年㈱エデュースコンサルタンツを設立。大阪・西天満で18年、京都・七条通りで18年。<br />
2019年彦根に戻る。 サンライズ出版 サンライズシュッパン はじめに<br />
Ⅰ　起業型社長の考え方と行動基準<br />
　１　高い目標と気高い理想に燃える<br />
　２　起業型社長、六つの能力<br />
　３　経営理念で全社一丸の絆づくり<br />
　４　社風づくりは基本、基本の反復連打<br />
　５　社長の“脱皮”が会社の“躍進”<br />
　６　自分だけの、自社だけの目標づくり<br />
　７　後継者体制づくりは社長の責任<br />
　８　起業型社長は社員のモデル<br />
　９　悩むときはトコトン悩み、あとは決断<br />
　10　厭なこと、済んだことは忘れる努力、気持ちを前へ<br />
　11　健康とモラルで自己管理をする<br />
　12　六分の勇気と四分のビビりが安全走行<br />
　13　一事の徹底、現実重視が戦略目標達成への基盤<br />
　14　小成から大成への挑戦<br />
　15　身近でわかりやすいライバルをもつ</p>
<p>Ⅱ　起業型社長が醸し出す本能<br />
　１　鋭い損得勘定感覚が価値判断基準<br />
　２　クールさとワームさのバランスを保つ<br />
　３　現場感覚を磨き抜く、リアリスト<br />
　４　本音でモノを言うに徹する<br />
　５　粘って、粘って諦めずに食らいつく習性<br />
　６　ギラギラした闘争心を全面に出す<br />
　７　好きなことに徹する<br />
　８　自らを追い込む勇気をエネルギーにする<br />
　９　事実と現実から絶対に目を背けない<br />
　10　「心から…」の感情を抑えない<br />
　11　問題部門へは直接介入する勇気をもつ<br />
　12　社長は孤独、だから人が好き<br />
　13　“求心力”であることの自覚<br />
　14　各論に強いトップ<br />
　15　中途半端は失敗のもと、やる時はヤリ切る<br />
　16　会社への愛着は強烈</p>
<p>Ⅲ　起業型社長のマネジメント<br />
　１　計画の骨子は社長の生命<br />
　２　計画づくりには、念には念を入れる<br />
　３　年度計画はスタートが肝心<br />
　４　G-P-D-CはCが生命線<br />
　５　会議の多さはコミュニケーションの悪さ<br />
　６　モノとカネの出入りは社長が制する<br />
　７　リスクのある仕事はトップ自らが手をつける<br />
　８　社長が経験してきたことをまかせていく<br />
　９　文鎮型組織が基本<br />
　10　中期経営計画は会社の体質改善をすることが目的<br />
　11　未知の分野に進出するときには慎重を期す<br />
　12　他社の成功している部分だけを見て、真似しない<br />
　13　（判）は二つまで<br />
　14　“的”をしぼって一点集中突破<br />
　15　下へいくほどやるべきことをシンプルにする<br />
　16　月次決算は、締後五日以内完成が生命<br />
　17　「これは」と思えば、社長が介入する<br />
　18　甘く、ケジメのないマネジメントには外圧を利用する<br />
　19　ルールは必要に応じて少しずつ明文化する<br />
　20　非生産的経費は徹底的に倹約する<br />
あとがき 「経営は理屈ではない。実践であり、経験であり、限りなく経営者そのものだ」。大手コンサル会社を経てコンサルタント会社を設立し、今に至る著者が、アントレプレナー（起業家）シップについて考え方を直伝。ここでいうアントレプレナーは創業者や中興の祖と言われる経営者を指す。中小企業の経営者・幹部を対象にした経営ゼミナールの副読本を再版。 </p></div>
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 <title>あやしの桃</title>
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 <pubDate>Thu, 09 Sep 2021 15:00:00 +0000</pubDate>
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 <description><![CDATA[アヤシノモモ 978-4-88325-741-6 9784883257416 4-88325-741-X 488325741X 0093 あやしの桃 水沢郁 ミズサワ [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<div class="invisible">アヤシノモモ 978-4-88325-741-6 9784883257416 4-88325-741-X 488325741X 0093 あやしの桃 水沢郁 ミズサワイク 1953年　滋賀県彦根市生まれ サンライズ出版 サンライズシュッパン 浦島会てんまつ記<br />
あやしの桃<br />
あしたの姉弟<br />
照手と小栗近江みち<br />
花狐<br />
「山の湯」の女 彼はこの女ともう少し話をしたかった。――彦根を訪れた朝鮮通信使一行の料理人と近村の娘の運命的な出会いを描く表題作、おとぎ話のように異界の地へ誘われた経験をもつ者たちが集う「浦島会てんまつ記」、橋の下に住まうルンペンの意外な素性と晩年の不思議な出来事が明かされる「花狐」など、滋賀県を舞台とした短篇小説６篇を収録。 </div>
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 <title>穴太衆積みと近江坂本の町</title>
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 <pubDate>Mon, 09 Aug 2021 15:00:00 +0000</pubDate>
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 <category><![CDATA[郷土史・民俗文化]]></category>
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 <description><![CDATA[アノウシュウヅミトオウミサカモトノマチ 978-4-88325-730-0 9784883257300 4-88325-730-4 4883257304 0021 穴太衆積みと近江坂本の町 須藤護 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<div class="invisible">アノウシュウヅミトオウミサカモトノマチ 978-4-88325-730-0 9784883257300 4-88325-730-4 4883257304 0021 穴太衆積みと近江坂本の町 須藤護 スドウマモル 1945年千葉県生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。<br />
近畿日本ツーリスト、日本観光文化研究所々員、大学共同利用機関　放送教育開発センター助教授、龍谷大学教授を経て現在民俗文化財保護事業と地域研究に従事。民俗学専攻。 サンライズ出版 サンライズシュッパン 第１章　穴太衆の仕事<br />
１、石積みの手順と技術<br />
２、東本宮・高石垣の復元作業</p>
<p>第２章　穴太衆のふるさと<br />
１、穴太衆のふるさと<br />
２、延暦寺と日吉大社<br />
３、穴太衆の足跡をたどる</p>
<p>第３章　近江坂本の町の形成<br />
１、門前町坂本の変容<br />
２、坂本の町の変容<br />
３、近世以降の坂本の町の復興<br />
４、いき届いた水の計画と石組<br />
５、坂本にみる石積みの変容</p>
<p>第４章　日本の都市像と坂本の町<br />
１、上坂本と下阪本の立地<br />
２、自治体としての都市</p>
<p>おわりに―穴太衆積みの作業を終えて はじめに<br />
　比叡山延暦寺と日吉大社の門前町である大津市坂本の町を歩いていると、いたるところで見事な石積みに出会う。この石積みは野面石（自然石）をさほど加工せずに積み上げたもので、野面積みといわれている。この地方では穴太衆積みとよんでいる。もとより日本には石を活用する知恵と技術は、縄文時代以前の古い昔から存在していた。しかし石を積んで施設を構築する技術が登場するのは、さらに時代が下ってからだといわれている。<br />
坂本の町でみられる石積みは野面石を横石積みにしたもので、この技術は、古墳の築造、とくに古墳時代後期から飛鳥・奈良時代にわたって築造された横穴式古墳の石室の構築技術と、共通点が多いという印象を持っている。この形式の古墳は、琵琶湖の西側においては大津市志賀里から穴太を経て坂本までの間に数多く築造されている。<br />
　森浩一氏は「横穴式石室をもつ古墳は、高句麗で完成し、直接あるいは伽耶（朝鮮半島南部の地域名。任那とも言われた）を経て日本の各地に受容された」と述べておられる（森一九九一）。高句麗（Ｂ，Ｃ三七～Ａ，Ｄ六六八）は中国東北部から朝鮮半島北部にかけて存在した国であった。高句麗の横穴式古墳の壁画には、日（三足烏）と月（ヒキガエル）が描かれたものが多くみられるが、日本の装飾古墳や熊野信仰に象徴される三足の八咫烏(やたがらす)などを頭に浮かべてみると、興味が膨らんでいくテーマであろう<br />
　西暦六六三年には日本と百済の連合軍が、唐と新羅の連合軍と戦って敗れた。その後大陸や半島からの侵攻を防ぐ目的で山城が築造されたが、その山城の石の積み方にも共通したものがあった。この時代の山城は北九州に多くみられるが、なかでも金田城（長崎県対馬）、大野城・椽（基肄）城（福岡県大野城市）、屋島城（香川県高松市）、高安城（大阪八尾市）等が知られている。これらの城は朝鮮式山城とよばれ、朝鮮半島と共通した形を見出すことができる。また唐・新羅連合軍と共に戦って敗れた百済の技術が投入されたとみていい。<br />
　『日本書紀』の天智天皇三年（六六四）には、西海の防備として「この年、対馬・壱岐・筑紫国などに防人と烽(のろし)台を置いた。また筑紫に大堤を築いて水を貯えた。これを水城といった」とあり、翌年の秋に「達卒答本春初(とうほんしゅんそ)を遣わして、長門国に城を築かせた。達卒憶礼福留(おくらいふくる)・達卒四比福夫(しひふくぶ)を筑紫に遣わして大野城・椽（基肄）城を築かせた」とある。百済からの渡来者を現地に派遣し、山城を築いたのである。<br />
　いずれにしても、野面石を用いた横石積みの形式は、中国東北部から朝鮮半島にかけての地帯と関係が深い技術である可能性がたかい。その技術は日本においても古代の山城に活用されており、また戦国期から近世にかけて築造された多くの城の石垣の中に同じ形式のものがみられ、古代からの伝統技術を引き継いでいるのかもしれない。<br />
　さて坂本に石積みが多いのは、後に述べるように比叡山延暦寺と日吉大社との関係が深いからであった。さらにはその地名が示しているように、斜面が多い地域だからであろう。琵琶湖をはさんで東側の湖東地方には広い平野が広がり、見事な水田地帯を形成している。しかし湖の西側に目を向けると、南から北へ向かって比叡山・比良の山並みが続き、その山並みはさほど平地をつくることなく琵琶湖に落ち込んでいる。比較的広い平地を得ようとすると、石垣を築いて土地を造成する必要があった。<br />
　とくに山岳宗教の拠点となった延暦寺は比叡山の山中にあり、坂本の人びとは「お山」とよんでいる。古くは十六もの谷々に多くの堂宇が建てられていたといわれている。高山ではないが起伏の多い山中であり広い平地を確保する必要があった。大寺院を建築しようとするとなおさらのこと広い敷地を必要としたのである。<br />
　また延暦寺は比叡山西麓の京都、そして東麓に位置する坂本とも深い関係にあった。京都には政治の中心である朝廷が存在していた。また東麓の坂本は中世以来物資の集積と輸送の拠点として重要な位置を占めており、修行を積み、お山での役目を終えた高僧が坊を営んでいた。この間の情報や物資を運ぶ山道の管理は山上の人びとにとっては非常に重要な関心事であり、山中において強固な道を構築するために石積みの技術が生かされたように思う。<br />
　穴太衆や石積みの歴史・技術等については後に項を変えて述べることにして、まずは堅固な石積みの技術を保持している現代の石工はどのような人で、どのような家柄であるのか、ということからはじめたい。<br />
現在、坂本に野面石を横積みにして石垣を構築できる石工は二人おられる。その人は粟田という石工さんで、第十四代純司氏と十五代純徳氏である。粟田氏の先祖をたどっていくと徳島県（阿波国）の出身のようで、屋号は阿波屋、初代は喜兵衛といった。また第十一代を万吉といい、万吉の代には坂本に居住地を定めていたことがわかっている。<br />
　古来、木地師・石工・たたら師・鍛冶師などの技術をもつ職人は移住をことにしていた。より良質な材料が得られる所に出むき、そこを仕事場にすることが合理的であったからである。そして材料がなくなると次の場所へ移動し、さらに材料がなくなると別の場所に移動していった。また現場での作業であるから、注文を受けると指定された現場に移動することになる。そのため使用する道具はきわめて少ない。作業ごとに道具を使い分け、多くの道具を駆使する居職の職人よりも、一つの道具を多様な場面で使う技術を保持していた。<br />
　戦国末期から近世初期において、粟田家のご先祖は徳島にいて徳島城の石垣を積む仕事をしていたという。徳島城は藩主である蜂須賀氏の城であった。天正十三（一五八五）年、豊臣秀吉の四国平定後、家臣の蜂須賀氏は長曾我部氏に代わって名東郡（現徳島市一宮）の一宮城に入城した。そして翌年に吉野川の沖積平野である現在の徳島に城を築いて移っている。徳島城自体はすでにないが、今日なお見事な石垣をみることができる。<br />
　一宮城は標高一四四ｍの山の上にあり、この城もすでにないが石垣はみることができる。前面に鮎喰(あくい)川、後方に険しい山をひかえた山城で、十四世紀前半の築造であったという。城域は東西約八〇〇ｍ、南北約五〇〇ｍ、本丸跡のほかいくつもの曲輪の跡、城門跡、倉庫跡、炊事場である釜床跡、堀や土塁が残っている。とくに本丸を取り巻くようにして築かれた城壁は、ほぼ当時の姿をとどめているようにみえる。その城壁は徳島城のものと共通点が多いことが指摘されている。<br />
　戦国時代末期から近世初期、各地で城や城下町の建設が始まる。石積みを得意とする石工たちは大名に抱えられて仕事をするようになった。徳島城もその例にもれない。しかし元和元（一六一五）年に一国一城令が発布され、築城ラッシュが一段落する元禄時代（一六八〇～一七〇四）になると、石工たちの多くは石積みの仕事を失うことになった。そしてその一部の人びとは、土木事業や旅稼ぎなどに関わることで生計を立てたという。徳島の一宮城もこの時代に廃城になっている。<br />
　未開拓の土地を開墾して定着した石工の集団もあった。徳島県の山中に坂本（勝浦郡勝浦町）という村がある。その村にみたことのあるような石垣があったので行ってみると、元は近江坂本から城つくりに来ていた人びとが開墾をして定着した村であったという（十四代粟田純司氏談）。開拓のために必要な用水路も石組であったという。すでに徳島城を築いた人びとの子孫は住んでいないが、見事な石垣が残っていたのである。このような村が熊本県にもあるという。<br />
　粟田家は十一代目万吉が桶屋を営みながら井戸掘り職人として、近江の坂本で仕事をしていたことがわかっている。坂本での屋号を「桶万」といった。しかし徳島時代から坂本に定着するまでの過程はよくわかっていない。職人の移動の記録が資料として残っているのは、漆器の素地である木地椀を製作してきた木地師のみで、その他の職人の移動のあり方は明らかではないのが現状である。粟田家の場合は「阿波屋」という屋号を名乗っていたことで、徳島出身ではないかという推定ができる。<br />
　井戸を掘ってきれいな水を保つには、その壁面に石を積むことが行われた。しかも井戸枠には切り石の枠と共に桶を使うことが多かった。石積みの技術を修得していた万吉は、やがて正式に延暦寺に出入りすることを許され、道路や石垣の補修を任されることになる。延暦寺と西教寺、そして日吉大社をひかえた近江坂本という土地が石積みの技術者を育て、その技術を継承させてきたのである。<br />
　延暦寺は三塔十六谷に多くの堂宇が建っていた。一部には三〇〇〇もの堂が建てられていたともいわれている。多分それほど多かったという意味であろう。山中であることから平地を得ると同時に、土砂崩れなどの災害を防ぐためにも堅固な石垣が必要であった。<br />
　延暦寺での仕事は、石垣の修理や道路等の土木工事が主であったという。石垣修理をするときには積んである石を解体しもう一度積みなおす。先人が築いてきた石垣を解体し修復作業を何度も経験していくなかで、古い石垣がどのようにして構築されているか、堅固な石垣の工法を学ぶ機会が多かったのではないかと思う。とくに土台になる重要な石を「根石」といい、建設当初からの古い石が残っていることが多かった。<br />
　この仕事が十二代目弥吉、十三代目万喜三に受け継がれていく。延暦寺に築かれた石積みは、長い年月を経ても崩れない堅固な造りであり、それは石の積み方と排水のあり方に大きな特徴があったことがわかっている。加えて大小の野面石をバランスよく積むことで美しく仕上げることも重要な要素であった。いつの頃からかこの石の積み方を穴太衆積みというようになる。十三代万喜三は祖父と父親の仕事を間近で観察し、その技術を正確に継承することで、近世前期以来長い間途絶えていた古式穴太衆積みの技術を体得したのではないか。そして古来よりの石組の工法を体系化していったようである。石と対話ができるすぐれた石工であったと伝えられている。<br />
　昭和三十八（一九六三）年、安土城の石垣修復工事が始まり、万喜三と十四代純司氏がこの仕事を請け負うことになった。安土城は戦国大名織田信長の居城として知られている。この城には大きな石を多用しており、巨大な石が崩れて下の方にたくさん落ちていたという。また雑草が伸び放題であった。まずは草刈りをすること、そして巨石を上に持ち上げる作業が始まりであった。重機を使うことができない現場での作業であったが、十五年の歳月を経てその石垣は見事に復元された。当時の城はすでにないが、山頂からの眺めがいいので安土城公園として多くの人びとが訪れる公園となっている。<br />
　また昭和三十九（一九六四）年には東京目黒の馬事公苑に角櫓(すみやぐら)を建てる計画が立てられた。東京オリンピック開催のために都内の各所で建設工事が行われ、その際に江戸城で使われていた石垣が出てきた。角櫓の基礎にその石材を使うという計画であった。万喜三が工事を請け負うことになった。<br />
　万喜三はここでも野面石積みに腕をふるった。万喜三が上京した際に「近江の穴太衆が江戸にやって来た」という新聞報道がなされ、当時大きな話題になったという。戦国末期から近世初期にかけて、江戸城をはじめとして各地の城の建設に穴太衆が活躍した輝かしい歴史があったからであろう。安土城の石垣の修復作業と角櫓の基礎工事の二つの仕事が高い評価を受け、その仕事が全国的に知られるようになった。三〇〇年あまりもの月日を経て、穴太衆積みの石垣が再び世に出ることになったのである。<br />
　十四代純司氏は安土城の修復作業で一人前になった人であるが、その修業時代の話によると、「父は次の石を積むときに石置き場の石をじっと見つめて、そこの三つ目の石を持ってこい、というのですよ。これがピタリとその場所にはまっていくんですね」。石をみただけで、何でわかるのか不思議でしかたなかったという。<br />
　「父は石と会話をしていたのですね。石をじっと見ていると、石の方から手を挙げてくれるというのですよ。それを持ってきて積むのですね。私もだいぶ年月を経てから、たくさんの石を見回しているとどうしても気になる石がみえてくるのですね。何度見回してもその石が気になるんです。それを持ってくるとぴたりとおさまるようになりました」という。「石の声を聞くことのできる石工」が誕生した瞬間であった。<br />
　この稿では「野面石の横積み」という石積みの工法を主要なテーマにしている。この石積みには基本的な約束事がいくつもあって、その工法を継承している石工を「穴太衆」といっているようである。しかし個々の石工の個性や考え方によって、基本的な約束事を継承しつつもその表現の仕方は異なっている。この稿、とくに第１章でいう「穴太衆積み」は、粟田家が代々石積みや修復の仕事をしていく中で先人の技術を学び、独自に体系化した粟田流穴太衆積みということになる。<br />
　今回の石積みは、万喜三の下で石積みの作業を見習い、直接指導を受けた現代の粟田流穴太衆十五代純徳氏と、純徳氏に師事する二人の若い石工の仕事を中心に記録したものである。なお、十四代純司氏には穴太衆に関わる多くの話をうかがう機会を得て、この稿に厚みを加えることができたことは幸いであった。 門前町坂本を歩いていると見事な石積みに出会う。この石積みは野面石(自然石)をさほど加工せずに横積みしたもので、石の強度を十分生かした積み方だった。穴太衆積みといわれている。この石積みの歴史は古く、戦国時代より前の時代まで遡ることができるという。今日、この伝統技術を継承する石工さんが坂本におられる。本書では、令和に行われた2件の石積みの記録を基に、さらに穴太衆積みの歴史を掘り下げることで、坂本の町の成り立ちとその歩みをたどっていく。 </p></div>
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 <title>畦道さんぽ</title>
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 <pubDate>Thu, 06 Aug 2020 15:00:00 +0000</pubDate>
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 <description><![CDATA[アゼミチ サンポ ノノクサバナ スイサイガシュウ 978-4-88325-697-6 9784883256976 4-88325-697-9 4883256979 0071 畦道さんぽ 野の草花 水彩画集 中 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<div class="invisible">アゼミチ サンポ ノノクサバナ スイサイガシュウ 978-4-88325-697-6 9784883256976 4-88325-697-9 4883256979 0071 畦道さんぽ 野の草花 水彩画集 中川善雄 ナカガワヨシオ 1936年長浜市生まれ。現在、米原市在住。<br />
1990年、点睛の会に入会。日本画家の寺村晴雄先生(彦根在住)に師事。<br />
2007年4月、ひこね「スミス記念堂」で個展。<br />
2010年4月、米原市池下「真勝寺」の内陣欄間絵を作成、披露。<br />
以降、伊吹を描く絵画展、滋賀県展、長浜展、米原展等に入賞。 中川 善雄 ナカガワ ヨシオ サンライズ出版 サンライズシュッパン 著者の故郷で、小高い山々に囲まれた静かな里に咲く、草花などを、見たまま、感じたままを水彩画として丁寧に描き続けた、選りすぐりの61点でまとめた画集。<br />
わかりやすい解説と、ゆかりの俳句を添え、草花の魅力をさらに生かしている。<br />
作品を通し、故郷の自然の素晴らしさを再認識し、それぞれの特徴や可憐さ、逞しさが伝わる一冊。 </div>
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 <title>新しい保育基礎</title>
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 <pubDate>Wed, 19 Feb 2020 15:00:00 +0000</pubDate>
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 <category><![CDATA[教育・福祉]]></category>
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 <description><![CDATA[アタラシイホイクキソ メンキョホウカイテイニタイオウシテ 978-4-88325-674-7 9784883256747 4-88325-674-X 488325674X 3037 新しい保育基礎 免許法改訂に対応し [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<div class="invisible">アタラシイホイクキソ メンキョホウカイテイニタイオウシテ 978-4-88325-674-7 9784883256747 4-88325-674-X 488325674X 3037 新しい保育基礎 免許法改訂に対応して 松浦善満 寄ゆかり 伊藤一雄 マツウラヨシミツ ヨリユカリ イトウカズオ 大阪千代田短期大学学長 大阪千代田短期大学教授 名古屋大学大学院教育学研究科博士課程修了　博士（教育学）<br />
島津製作所、高校教諭、教頭、京都大、同志社大他の講師（非常勤）<br />
高野山大学教授、関西福祉科学大学教授を歴任、両大学の名誉教授<br />
現在大阪千代田短期大学客員教授 サンライズ出版 サンライズシュッパン 第1章  乳幼児保育等の施設と教職員の服務<br />
第2章　 教育・保育課程の基礎　―保育内容総論―<br />
第3章　 保育内容の指導法「健康」<br />
第4章  保育内容の指導法「人間関係」<br />
第5章　 保育内容の指導法「環境」<br />
第6章　 保育内容の指導法「言葉」<br />
第7章　 保育内容の指導法（表現）「造形表現」<br />
第8章　 保育内容の指導法（表現）「音楽表現」<br />
第9章 　保育内容の指導法（表現）「総合表現」<br />
第10章　特別な支援を必要とする子どもの理解<br />
第11章　乳幼児保育の施設における実習<br />
第12章　保護者と保育者の連携<br />
第13章　情報機器の活用と保育<br />
第14章　多文化社会での保育<br />
巻末資料 幼稚園教諭、保育士など幼児の教育・福祉に関わる学生のために、保育幼児教育の基礎・基本が学べる入門書。5領域の具体的な指導法、「表現」においては造形・音楽・総合表現に分け、事例とともに丁寧に解説。また章末に掲載する課題で理解を深めることができる必携の書。 </div>
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 <title>明智光秀ゆかりの地を歩く</title>
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 <pubDate>Thu, 17 Oct 2019 15:00:00 +0000</pubDate>
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 <category><![CDATA[中世史・近世史]]></category>
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 <content:encoded><![CDATA[<div class="invisible">アケチミツヒデユカリノチヲアルク 978-4-88325-666-2 9784883256662 4-88325-666-9 4883256669 0026 明智光秀ゆかりの地を歩く サンライズ出版 サンライズシュッパン サンライズ出版 サンライズシュッパン プロローグ　明智光秀の足跡<br />
信長家臣への道筋<br />
　光秀の青年と出自<br />
　　光秀誕生の地の伝承がある「明智城」<br />
　　◇ゆかりの地を歩く　愛知県<br />
　　◇ゆかりの地を歩く　岐阜県<br />
　もともとの主君は誰か<br />
　　コラム「越前朝倉遺跡」<br />
　永禄9年高島郡田中城にいたか？<br />
　比叡山攻撃の主将<br />
織田家中で初の城持ち大名へ<br />
　光秀と織田信長<br />
　元亀争乱と光秀<br />
　坂本築城<br />
　坂本城の構造<br />
　◇ゆかりの地を歩く　滋賀県大津市坂本<br />
　安土城築城<br />
　安土城の構造<br />
　天下人の安土城<br />
　◇ゆかりの地を歩く　滋賀県近江八幡市安土町<br />
　信長の城郭政策<br />
　光秀と西教寺<br />
　コラム　光秀の墓所「西教寺」<br />
坂本城主としての光秀<br />
　湖西浅井勢力の掃討<br />
　田中城の構造<br />
　新発見の明智秀満文書<br />
　坂本城の跡地<br />
　坂本城主としての治世<br />
　兼見小姓の逐電事件<br />
丹波攻めと亀山城主としての姿<br />
　丹波攻めの開始<br />
　波多野秀春の離反<br />
　亀山城築城から八上城攻め<br />
　八上落城と丹波制圧<br />
　信長の光秀評価<br />
　コラム　福知山城<br />
　◇ゆかりの地を歩く　京都府福知山市<br />
　◇ゆかりの地を歩く　京都府亀岡市<br />
本能寺の変への道<br />
　光秀の軍法制定<br />
　なぜ信長は殺されたか<br />
　長曾我部元親の2通の書状<br />
　信長と比\光秀の背後<br />
　本能寺での戦闘<br />
　山崎の合戦へ<br />
　光秀の死と秀満の逸話<br />
　◇ゆかりの地を歩く　長岡京市、京都市<br />
細川ガラシャ邂逅<br />
明智光秀関連年表 2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀は、出自や人生の終焉について多くの謎が残る。長年、逆臣の汚名を着せられつつも、他方では領民から慕われ、現在もその功績が顕彰されていることも事実である。正確な史料に基づいて、その足跡をたどる。 </div>
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 <title>明智光秀と近江・ 丹波</title>
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 <pubDate>Mon, 17 Jun 2019 15:00:00 +0000</pubDate>
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 <description><![CDATA[アケチミツヒデトオウミ・タンバ ブンコクシハイカラホンノウジノヘンヘ 978-4-88325-195-7 9784883251957 4-88325-195-0 4883251950 0321 明智光秀と近江・ 丹波 [...]]]></description>
 <content:encoded><![CDATA[<div class="invisible">アケチミツヒデトオウミ・タンバ ブンコクシハイカラホンノウジノヘンヘ 978-4-88325-195-7 9784883251957 4-88325-195-0 4883251950 0321 明智光秀と近江・ 丹波 分国支配から「本能寺の変」へ 淡海文庫 オウミブンコ 福島克彦 フクシマカツヒコ 1965 年兵庫県生まれ。88 年立命館大学文学部卒業。おもな著書に『畿内・近国の戦国合戦』(2009、吉川弘文館) がある。共著に『明智光秀: 史料で読む戦国史』（2015、八木書店古書出版部）、『近畿の名城を歩く 大阪・兵庫・和歌山編』（2015、吉川弘文館）など。 サンライズ出版 サンライズシュッパン 明智光秀と言えば、天正十年（一五八二）六月、本能寺の変を起こし、織田信長を倒した武将として知られている。しかし、同じ織田系部将の羽柴秀吉に山崎合戦にて敗れ、信長の統一事業はそのまま光秀を通り越して秀吉へと継承されてしまった。彼の動向は、本能寺の変から山崎合戦に至るまで、すべて裏目に出たような評価をされており、悲運の武将、あるいは失意の中で無計画にことを進めた人物として評価されている。<br />
彼が、なぜ織田信長を裏切ったか……このテーマは、昔も今も多くの歴史ファンの興味の的である。近年は、前述した彼の失意や無計画を背景に、彼を動かした黒幕がいたのではないかという意見も多く見られるようになった。しかし、一般の方々と会話していると、信長との関係のみに関心が集中してしまい、そもそも光秀がどのような活動をしていたか、あるいは彼の歴史的位置は充分評価されているとは言い難い。私は、自明のことながら、光秀がどういう人物であったか、という点に改めて着目すべきと思う。それを語らずにして、本能寺の変の原因も語る入口にも入れないであろう。万が一、黒幕がいたとしても、実際に本能寺の変をやってのけたのは、光秀当人であったからである。<br />
では、実際の光秀とは、どのような武将であったのか。こうした武将の個人的資質やその性格は、従来歴史学の考察対象にはなりにくい分野であった。あくまでも、歴史学では、織田権力の一員というフィルターのもとで検討されてきたし、当時の権力や時代的背景に制約されていたことは個人を評価する上で不可欠な視点である。しかし、近年、こうした織田系部将たちの統治のあり方自体が見直され、部将たちのキャラクターそのものも考察対象になりつつある。すなわち、織田権力は、強い一定の方針や方向性があるというよりも、各部将によって地域に応じた独自のやり方に任されていた側面があると認識されるようになりつつある。<br />
従来、織田権力と地域の国衆との関係を考察することは、権力の浸透度を検討する上で重要な視点である。同権力の地域支配の視点としては、「一職」支配の議論があり、織田系部将たちは、信長の上級支配権という傘のもと、旧来の守護権を継承して、一国ないし広域な支配権を掌握し、在地国衆に対して軍事統率権、知行宛行権を持っていたと捉えられてきた（脇田一九七七）。これらは柴田勝家の越前支配や、西岡（長岡）における細川藤孝（幽斎）と革嶋氏の関係などの事例から検討され、織田権力による地域支配の進捗度が考察されてきた。<br />
ところが、近年織田権力が他の戦国大名との比較が進められるにおよび、信長に社会を統治する制度的整備について、関心が乏しかったことが指摘されている。すなわち、軍役賦課基準の設定や検地の実践など、具体的な政策実践は、信長が決定せず、部将である羽柴秀吉や明智光秀のもとで実践されてきたことが改めて着目されている（池上二〇一二）。<br />
部将個々は、信長の権威を背景としつつも、自らの能力、経験、個性、あるいは人間的魅力を駆使して、国衆たちを味方につけるなどの調略を進めていった。しかし、彼らは、信長から過重な命令が出たとしても、それをしっかりこなさなければならない。そして、さまざまな困難を乗り越えるなかで、その実務能力を高めていったものと思われる。逆に、こなせなかった部将に対しては、改易などの厳しい措置が取られていた。<br />
では、光秀とは、そもそもどのような人物だったのか。本能寺の変を起した後であるが、フロイス『日本史』に同時代に生きた人物の光秀評がある。それによれば、光秀は「もとより高貴の出ではな」いが「その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受け」ていたという。そして「裏切りや密会を好み」「戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった」。さらに「築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持主で、選り抜かれた戦いの熟練の士を使いこなしていた」とあり、築城、軍略に長けていた。こうした武将としての資質に恵まれていたと同時に、他者を気遣う配慮があり、「信長に贈与することを怠らず」もてなしを行えた。そして「装う必要がある場合などは、涙を流し」たという。宣教師フロイスは、キリスト教に理解を示した信長を高く評価していた。その信長を倒した人物なので、フロイスの光秀評は「狡猾」「裏切り」「謀略」とやや手厳しい。<br />
しかし、そうしたフロイスの恣意的な評価を外せば、武将としての才能を積極的に認めている。さらに、もてなしができ、装いの涙が流せる人たらしでもあったことも指摘している。一般に豊臣秀吉が人たらしだったと言われているが、光秀も負けず劣らず、他者を引き立てつつ、動かせる独特の才能を持っていた。<br />
こうした織田系部将たちの個人的資質は、前述した信長の方向性と表裏の関係であったと言えよう。本書では、こうした織田系部将の一人、明智光秀を取り上げ、彼の近江国志賀郡、および丹波国における国衆との関係について順を追って通覧していきたい。 織田信長を倒した武将・明智光秀はどのような人物だったのか。謎に包まれた人生を、残された文書から読み解き、近江・丹波の土豪たちとの関わりにふれながら、「本能寺の変」へと至った道をたどる。 </div>
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