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	<title>邪馬台国近江説 へのコメント</title>
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 <title>銀河 秋彩 より</title>
 <link>https://www.sunrise-pub.co.jp/isbn978-4-88325-164-3/#comment-151</link>
 <dc:creator>銀河 秋彩</dc:creator>
 <pubDate>Tue, 10 Jun 2014 11:13:56 +0000</pubDate>
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 <description>臺与の投馬国（とまや←逆さまから読む倒語）
⇒【邪馬臺（やまと）国・トカラ列島の宝島（会稽東冶の東）】

見渡せば花【君臨者（太上天皇）】も紅葉【統治者（天皇）】もなかりけり
浦の苫屋【投馬国（とまや ←逆さまから読む倒語）】の
秋【蘇我大王家】の夕暮【没落】　
　　崩壊寸前の平安時代の日本国・大和朝廷の、藤原定家

（↓わが君は）
君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の結すまで・国歌「君が代」
　国歌・「君が代」が謡われた観音堂大鍾乳洞</description>
 <content:encoded><![CDATA[<p>臺与の投馬国（とまや←逆さまから読む倒語）<br />
⇒【邪馬臺（やまと）国・トカラ列島の宝島（会稽東冶の東）】</p>
<p>見渡せば花【君臨者（太上天皇）】も紅葉【統治者（天皇）】もなかりけり<br />
浦の苫屋【投馬国（とまや ←逆さまから読む倒語）】の<br />
秋【蘇我大王家】の夕暮【没落】　<br />
　　崩壊寸前の平安時代の日本国・大和朝廷の、藤原定家</p>
<p>（↓わが君は）<br />
君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の結すまで・国歌「君が代」<br />
　国歌・「君が代」が謡われた観音堂大鍾乳洞</p>
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 <title>沖中 麻夫 より</title>
 <link>https://www.sunrise-pub.co.jp/isbn978-4-88325-164-3/#comment-85</link>
 <dc:creator>沖中 麻夫</dc:creator>
 <pubDate>Sat, 17 Mar 2012 10:58:32 +0000</pubDate>
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 <description>守山市伊勢遺跡はその出土品より、卑弥呼の時代より少し古く、私は、この地は、北陸以東の出雲国連合の政を行う中心地であったと考えるのがもっともうがった考えであろうと思っております。伊勢の地名は倭姫が「イッセ」を祭る地を探していた時、丁度出雲王国の力が弱まったころの、この地の人々が受け入れたが、何かの理由で他に移らざる得なかったのではないかと思います。残された鏡の割れ方は決別の感じが見られます。卑弥呼であれば手あぶりのような出土した香炉は使わなかったでしょう。この私説を証明できるものはありませんが、あなたの霊感による卑弥呼説は問題ありです。こちらの方面からも研究されたい。梅原猛氏のように、長年出雲国を否定して来た人が現在恥じ入っているが、そのようにならないことを願うばかりである。</description>
 <content:encoded><![CDATA[<p>守山市伊勢遺跡はその出土品より、卑弥呼の時代より少し古く、私は、この地は、北陸以東の出雲国連合の政を行う中心地であったと考えるのがもっともうがった考えであろうと思っております。伊勢の地名は倭姫が「イッセ」を祭る地を探していた時、丁度出雲王国の力が弱まったころの、この地の人々が受け入れたが、何かの理由で他に移らざる得なかったのではないかと思います。残された鏡の割れ方は決別の感じが見られます。卑弥呼であれば手あぶりのような出土した香炉は使わなかったでしょう。この私説を証明できるものはありませんが、あなたの霊感による卑弥呼説は問題ありです。こちらの方面からも研究されたい。梅原猛氏のように、長年出雲国を否定して来た人が現在恥じ入っているが、そのようにならないことを願うばかりである。</p>
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